頭 役 (とうやく) 日 記  


頭役(=若者頭)は1年中、何やかやとお祭りと付き合って生活できる幸福(?)な仕事です。 
このページでは、祭り関連の行事やトピックス等々を日記形式で綴っていきたいと思っています。
(日記なんかつけたこと無いくせに! という家族の忠告を無視してスタート・・・・いつまで続くことやら)


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1999/04/25 朝から山車組み上げ。
好天に恵まれ順調に作業、午後3時前に完成、早速神前神社まで試し曳き。
組み上げ作業の合間を縫って、掛かり物(組費)の集金、市長・市議選の投票、車元宅での稽古始めの準備等々。
夜は7時から車元宅にて囃子稽古始め。
1999/04/20 夜9時から集会所にて頭役だけによる「人形操作自主トレ」を開始。 正式な囃子稽古までの5日間、新しく人形方になる頭役への特訓を行うことになったのですが、今日がその初日。
見るのとやるのとでは大違い、みんな悪戦苦闘のすえ、予定の10時を過ぎて11時近くまで熱の入った練習が行われました。
ちなみにわたしも「傀儡師」の囃子の太鼓を本番までにマスターせねば・・・・・・
1999/04/18 山車組み上げ日。
朝から本降りの雨、協議の結果日柄等を考えて堂山柱を建てるところまでは強行することに決定。
ビニールシートで傘を作って、その下で台輪の組み立て、その後サヤの中で堂山部分組み立て、ここまでで本日の作業終了、あとは25日ということになりました。
午後から頭役は雨の中、掛かり物(組費)の集金。
1999/04/11 朝からゴマ掘り、若者は早速作業開始。
頭役は今日から使用可能になった第2事務所(田中組集会所と命名)で祭り準備についての会議。
同時並行して、車元さんの記念品に使う「巫女」「傀儡師」の写真撮影の準備。
3時、博物館にて「音四郎展」の展示物撤収作業。
5時半「集会所」にて人形撮影。

スタッフジャンパー初回発注分完成、みんな早速このジャンパーを着用しての作業となりました。
1999/04/03 神武天皇祭。
筆頭の代役で朝10時からの神前神社での式典に理事さんと一緒に参列。
その後理事さんの家で3時間ほど組や祭りに関する色々なお話しをうかがいました。
夜は7時に車元宅に集合、神前神社までの打ち囃子行列を行い、その後組事務所で飲み会。 いよいよ潮干祭まで一ヶ月となりました。

スタッフジャンパーの見本完成。 早速注文とり。デザイン等好評で初回20着以上の注文が入りました。(NOVAさんありがとうございました)
1999/03/30 昼、中区長者町繊維街にある「堀田商店」へ。 車元や組事務所に祭典当日飾る「水引幕」に使う紫の房を購入。
1999/03/28 朝から道検分(各組若者代表若干名と頭役若干名で実施)。
先日の予算会でサヤ横の第2事務所の改装(間取り変更、床・壁面のリフォーム)が承認されたことを受けて今日から工事開始。わたしたち頭役は朝から改装準備の手伝い。
昼から本年の役割及び来年の人事について話し合い。
2時からわたしだけ抜けて博物館へ。 「立川音四郎展オープニングセレモニー」に出席。
1999/03/27 今日から半田市立博物館で「立川音四郎展」開幕。
2時半から勤労福祉会館で「記念講演会」「立川流後援会総会」の準備。
5時30分からの記念講演を拝聴、非常にわかりやすく興味深い講演内容で改めて立川流の歴史的・文化的価値を再認識できました。
7時から後援会の総会・レセプションに出席。 この総会でわたしの後援会幹事就任も正式に承認されました。
1999/03/21 昨日の「予算会」で「自分の組の山車や彫刻についての造けいをもっと深めよう」という話が出たことを受けて、古本屋で「三国志」を探しました。
神楽車の脇障子や前山蟇股の彫刻はみな「三国志」を題材としたもの、「桃園の誓いとは?」「超雲ってだれ?」なんてことぐらいは知ってなくっちゃ!・・・・ってことで「三国志」。 吉川英治の「三国志」(全8巻)を購入しました。
1999/03/20 朝から乙川祭見物。 あいにくの雨で「坂上げ」の一部を見ただけでしたが、NOVAさん・OSHOWさん・三ツ谷さん・祭吉さんなどインターネットで知り合った方々とお会いしての祭り談義で楽しいひとときを過ごすことができました。
夜7時半からは組事務所で「予算会」。代参会決議事項の確認のあと、組の中長期的課題・計画・財政等についての討議がなされました。

田中組スタッフジャンパーを作成することが決定。
1999/03/08 昼前、同じ名古屋に勤務している頭役K君(職種も同じ・・・・ライバル?)と連れ立って、中区長者町繊維街にある「堀田商店」へ。
ここは法被や手ぬぐい等日本の伝統衣料を製造・販売している店で、田中組の看絆や手ぬぐいもすべてここでお願いしています。
頭役や後見が着用する「役員看絆」のLサイズを若干枚新調すべく、見積もり依頼をしてきました。
今年の祭りでは、この新品の看絆でびしっ!! と、きめられたらいいのですが・・・・・・。
1999/03/06 夜、神前神社社務所で「定例代参会」(5組の若者頭による潮干祭の最高意志決定機関)が開催され、平成11年潮干祭の「行事予定」「山車巡行時刻」「注意事項」等々が決議されました。 いよいよ本年の祭りに向けて亀崎の町が動き出すわけです。
田中組は例によって序列上位5名のみ出席でしたので、わたしは8時過ぎからサヤ横の「田中組第2事務所」で待機、代参会終了後出席者から会議の内容や決議事項についての報告を聞きました。
本年潮干祭のスケジュール等については「潮干祭最新情報」として近日中にアップ予定です。
1999/03/04 午後7時30分より立川流彫刻研究所で行われた「第12回再興立川流彫刻後援会幹事会」に出席してきました。
3月27日から開催される「種清展」と、同日行われる「記念講演会」・「後援会総会」・「レセプション」の準備や当日の進行等について細かい部分まで協議・決定がなされました。
わたしは・・・・・・初めての幹事会出席ということでただただ「聞いてるだけー」って感じでした。
1999/02/27 立川音四郎種清展と記念講演会のお知らせ
立川ファンの皆様、お待たせしました。 幕末から明治にかけて立川流の中核となって活躍した大棟梁立川音四郎種清を紹介する展覧会と記念講演会が3月に開催されます。 立川流全体像の未知の部分にメスを入れる今回の企画、ぜひともご参加ください。
「立川流大棟梁立川音四郎種清展」 平成11年3月27日〜4月11日 半田市立博物館にて開催(入場無料)
記念講演会 「立川音四郎」平成11年3月27日午後5時30分 半田勤労福祉会館にて開演(講師:間瀬恒祥氏)
乙川浅井山宮本車組み上げ 平成11年3月28日午前10時 半田市立博物館・館行事

問い合わせ先 : 立川流彫刻研究所 (0569)29−5897
1999/02/26 夜7時から神前神社社務所にて「祭りびとを広める会」の第1回委員会に出席してきました。
亀崎にも近年マンションや新興住宅街が出来てきて、他所から移り住んできた人たちも多くなってきたため、これら「新亀崎人」にも潮干祭に積極的に参加してもらうことを目的に「潮干祭保存会」の専門部会としてこの会が発足されました。
昨年、「とっかかりはやはり子供たちの参加から」ということで小学生へのアンケートや学校での説明会等をテスト的に実施しました。
亀崎小学校に息子が通っている頭役、ということで各組5人の委員に私も選ばれたわけです。
今日の委員会では会の運営形態や今後の活動方針について話し合われました。
この会の活動についても今後当HPで紹介していきたいと思っています。
1999/02/20 朝からサヤ横の「田中組第2事務所」のペンキ塗り。
サヤ西隣には長らく表具屋さんが店を構えていたのですが、ここは元々田中組の土地を貸し出していたもの、このたびこの店を閉めるにあたって土地の返還と同時に建物を組に寄付していただけることになりました。 そこで、ここを組の第2事務所として有効に活用すべく今後頭役を中心に準備を進めていくわけですが、今日はその第1弾として建物正面の表具屋さんの看板を白ペンキで塗りつぶしました。 素人が、ホームセンターで買ってきたペンキ・器材を使っての作業ですから、はたして出来栄えは??・・・と思いきや、ペンキがいいのか、はたまた頭役K君の隠れた才能なのか、なかなかりっぱな仕上がりにみんな大満足、作業終了後何も無い新事務所で祝杯をあげました。
とりあえず真っ白に塗られた事務所正面の看板、この後どうするのかが今後の課題です。(私は水引の蝶を描いたらおしゃれだろうなと思っているのですが・・・・・・・)
1999/01/27 夜、立川流彫刻研究所へ行って、立川流彫刻家の間瀬恒祥氏に会ってきました。
神前神社隣の「海潮院」に飾られる予定の彫刻の制作現場を見学したり、立川に関する文献や資料を見せてもらったり、もちろん恒祥氏から様々な話をうかがったり・・・と、それはそれは有意義で貴重な時間をもつことができました。
何故研究所に行ったのか?・・・・・・実は恒祥氏から呼ばれて行ったのですが、何と「再興立川流彫刻後援会」の幹事を要請されてしまったのです。
恒祥氏とは20年来の知り合いですし私自身立川流彫刻には大いに興味もありましたのでお受けすることにしましたが、そんな大役はたして私なんかにつとまるものやら・・・・・
というわけで、今後はこのHPで「立川流彫刻研究所」や「再興立川流彫刻後援会」の情報も充実させていくつもりですのでお楽しみに。
1999/01/09 夜、田中組御用達居酒屋「女ん恋」にて「平成11年田中組鏡開き」が行われました。
若者頭以上の組役員・幹部が一堂に会しての新年会のようなもので、おおいに盛り上がった中、本年の潮干祭の成功に向けての意志統一がなされました。
1999/01/01 秋葉社での「振る舞い」は盛況のうちに無事終了、後片付けを終えて午前3時頃に帰宅。
ぐっすり眠る間も無く朝9時に車元宅に集合し、田中組としての新年最初の行事「新年のご祈祷」に出席してきました。
車元宅に安置されている組の「守神様」に対し、神楽奉納と神前神社宮司によるご祈祷が行われ、本年の潮干祭と組員の無事が祈願されました。
午後、先輩頭役H氏の家に太鼓とともに移動、「かにすき」をご馳走になりながら祭り談義とお囃子・お神楽のライブ演奏でおおいに盛り上がりました。
1998/12/31 深夜0時からの秋葉社での「振る舞い」のため、朝から同年会で準備開始。
亀崎では厄祓い行事として、本厄が神前神社、後厄が尾張三社、前厄が秋葉社、前々厄が神明社をそれぞれ受け持ち、年が変わった深夜0時から初詣客に対しておでんやお酒等々を振る舞うならわしがあるのです。(なんたって敬神社の一員ですから)
中切組の事務所でおでんを煮たり、フランクフルトを茹でたり・・・・・大晦日だというのに「紅白」とも「除夜の鐘」とも無縁の秋葉社での年越しとなりました。
1998/11/21 お知らせ
今日21日〜23日までの3日間、半田市旭町3丁目、コロナ会館東の川鉄物流剣道場で「ミニ山車祭り展と山車祭り用衣装・刺繍展」が開催されています。
ミニ山車作り愛好家による「協和地区、協和車」「成岩、成車」「亀崎、青龍車」「乙川、宮本車」やその他常滑・武豊のミニ山車の展示。
またミニ山車の幕の刺繍や衣装なども展示されているとか・・・・・。
おひまな方はぜひどうぞ。
1998/11/15 半田市博物館の展示山車入れ替え。 午後から下半田南組護王車の組上げの模様を見物してきました。
ちょうど上山部分の組み立て中でしたので、2階のラウンジから手が届きそうな至近距離で組上げの様子を見ることができました。
10代から60代まで幅広い年齢層の組員が50名程度も参加しており、下半田地区の祭りへの情熱、盛り上がりを肌で感じました。
1998/11/07 エ〜〜ン! 立川流講演会に行けなかったー
6時から同年会の総会があって、7時くらいで会議が終了、その後の宴会をパスして日本福祉大学へ・・・という計画をたてていたんですが、厄年まであと1年という時期の総会ですから重要な議題が目白押しで、しかも議論が白熱化、会議を終わってみればすでに8時、泣く泣く講演会をあきらめてその後の宴会に出席ってことになりました。
情報では「瀬川と立川の龍の違い」とか「彫常と立川の力神の違い」なんて興味深い内容だったとか・・・・・・残念無念!
ただし、同年会の宴会には潮干祭各組の頭役や色看絆が多数出席してるんですから当然「祭り談義」に花が咲いたわけで、特に各組のお囃子に関する話題で盛り上がりました。 近々この「お囃子」に関するページをアップしますのでお楽しみに。(ちょうど桟掛祭の時録音したテープもあることだし・・・・)
1998/10/28 お知らせ
潮干祭の山車彫刻でも有名な「立川流」を再興すべく本年3月に発足した「再興立川流彫刻後援会」と亀崎にある「立川流彫刻研究所」が主催する講演会(第2回)が行われます。
これは一般の人に立川流彫刻の見方と保存の大切さを理解してもらうことを目的に行われるもので、6月17日の第1回「立川流の歴史」に私も参加してきましたが、間瀬恒祥氏(立川流彫刻家)によるスライドも交えた楽しい講演は1時間半があっという間に過ぎてしまった程興味深いものでした。
興味のある方、ぜひ聴きに行ってみてください。(山車や彫刻の見方が変わりますよ!)
 テーマ   立川流の作風
 日時    平成10年11月7日(土) PM7:00〜8:30
 場所    日本福祉大学 半田キャンパス104番教室
 講師    立川流彫刻家 間瀬恒祥氏
 作品展示 PM6:00より 立川流一門彫刻作品  立川流関係者美術作品
 参加費  一般500円(当日受付にて)
 問合せ  立川流彫刻研究所 (0569)29−5897 まで 
1998/10/25 桟掛祭
朝7時神前神社前に集合して「幟(のぼり)建て」(5組の若者頭で鳥居両側の大きな幟を建てる作業、潮干祭前日朝も行われる)、さらに各山車の吹流し一対を境内に飾り付け。
その後田中組は看絆と幕類の虫干し(ちなみに私は幼稚園の運動会のためこの作業はパス)。
午後いよいよ桟掛祭余興の「囃子と伊勢音頭の競演」開始。
各組小学生を中心としたお囃子演奏チーム5,6名と伊勢音頭を唄う若者5,6名が順にステージへ、各組持ち時間10分の中でお囃子、伊勢音頭が披露されました。 真剣に太鼓を叩く子供たち、若干照れながら(シラフじゃ無理ないか?)も見事なのどを披露する若者、お囃子のBGMにのって唄われる伊勢音頭は目を閉じて聴けばまさに祭り気分満点、盛んな拍手・歓声を浴びながら5組の演奏は無事終了しました。
審査の結果、第1位「おおいに盛り上がったで賞」に中切組、第2位「ばっちりキマッタで賞」に西組が選ばれました。
(来年こそ趣向を凝らして雪辱を!)
夜は車元から神前神社までの打ち囃子行列、その後組事務所にて酒宴となりました。
久しぶりに亀崎が祭り色に染まった1日でした。
1998/10/10 高山祭2日目
朝から桜山八幡宮に集合した屋台を見物。 昨日と同様すごい人出でしたが、秋晴れの空のもとじっくりと屋台を鑑賞できました。
潮干祭の山車を見馴れている目には屋台のスタイルはどうも安定感が無く、不恰好に見えてしまいます(亀崎以外のどこの山車を見てもなんですが)。
白木主体でどっしりした亀崎の山車に比べ、漆・金箔・彩色等で「厚化粧」されたきゃしゃな屋台はどこか女性的な感じがしました。
とはいえ、10台の華麗な屋台はやはりメチャクチャすばらしく、1台1台名画を鑑賞するかのように見入ってしまいました。
午後「布袋台」のからくり人形を見物しましたが、これは確かにすごい!! 一見の価値ありです。
その後「車座で酒を飲みながら唄をうたう若い衆がいない」「屋台の上山に私服の子供たちが乗っている」など少々違和感のある高山祭に別れを告げ、家路につきました。
それにしても高山祭見物に訪れた10万人以上の観光客が潮干祭を見たらどう思うんだろうか?
1998/10/09 秋の高山祭見物に出発
午後2時すぎに亀崎を出発、6時頃予定通り高山中心部の旅館に到着、夕食後早速宵まつり見物にでかけました。
屋台の通る道路の両側は想像を絶する見物人の数、提灯で装飾された屋台が静々と進んでいく姿を人の頭越しに見物したわけですが、ちょうどディズニーランドでエレクトリカルパレードを見ているような感覚でした。 確かに屋台は華麗で幻想的でしかも10台(1台は修理中で不参加)が連なって進む姿は圧巻なのですが、「勇壮さ」や「祭りびとの熱気」「曳き廻しの妙」といったものは正直いって感じられませんでした。
「小京都高山」と「海の荒くれ男の町亀崎」の土地柄の違い、祭りの起源や変遷の違いによる「祭りの性格」なのでしょうからどちらがどうとは言えませんが、「やっぱりわたしは潮干祭が好き!!」との思いを強くしながら宿に戻りました。
1998/09/20 本年の桟掛祭の詳細がわかりましたので、この日記に載せておきます。
日時 平成10年10月25日(日)
午後1時〜4時
場所 神前神社境内
内容 ☆ 山車組5組による囃子の競演
☆ 山車組5組による伊勢音頭
☆ 豪華景品があたるお楽しみもち投げ
主催 潮干祭代参会
協賛 潮干祭保存会
鳳凰会

桟掛祭(はしかけさい)とは神前神社の大祭のひとつで、神武天皇が天神岬に上陸された時、空に橋が掛かったといういわれからこの名がついたとされています。
代参会(潮干祭の5組の若者頭で構成する祭典の最高意思決定機関)主催ですから久しぶりの若者頭の出番ということになります。
山車は出ませんが、午前中の神事に続いて境内で行われる奉納余興には多くの亀崎人が集まります。
古くは相撲興行・漫才・芝居・奇術・闘犬・映画等々毎年趣向を凝らした出し物だったようですが、最近はずっとカラオケのど自慢大会が続いていました。
が、本年はちょっと趣向を変えて祭り囃子の競演と伊勢音頭の競演とのこと、祭りが終わってほぼ半年、「あーあ待ち遠しいなー」と思っている祭り人間には堪えられない余興となりそうです。
夜はもちろんお決まりの各組車元から神前神社への打ち囃子行列となります。  
1998/08/01
02
夏祭り開催
祭りの模様はこちら  (わたしは仕事の都合で第1日目は参加できませんでした)
1998/07/26 本日三社祭
午後6時30分から組事務所で、打ち囃子行列のため提灯や太鼓などの準備を開始。
7時30分頃事務所を出発して尾張三社までの打ち囃子行列。
わたしの役目は行列の警備と交通整理、予備ロウソク持ち(相変わらずの裏方です)。
8時前後に5組の行列が尾張三社に集結、組毎に神前でお神楽奉納ののち参拝。
再び事務所まで打ち囃子行列で戻り、その後事務所にて酒宴となりました。
1998/07/23 午後、半田市博物館の近くで仕事があり、ついでに博物館を見学してきました。
下半田の祝鳩車が展示されておりしばらく鑑賞。
それにしても山車の実車が1輌展示されているのはまだしも、その他の祭り関連の展示は超貧弱、
「山車の街はんだ」なんですからもう少し展示内容の工夫や充実を図って欲しいものです。
1998/07/21 三社祭(7月26日夜、各組事務所より尾張三社への打ち囃子行列)のスケジュール等を組幹部に知らせる「回状」を仕事の合間をぬって配りました。
祭や組関係の行事や会合の連絡は、電話や郵便ではなく一枚一枚毛筆で書かれた「回状」を頭役が手分けして各幹部宅の戸口まで届けるという昔ながらの方法で行うのです。
1998/07/19 朝8時から夏祭り(8月1.2日開催)の山車の組み上げ作業を行いました。
亀崎地区コミュニティ−主催の夏祭りは提灯で装飾された5輌の山車が出る宵祭り、
もともと「三社祭り」として由緒ある夏の行事であったものが一時期中断、数年前から地域の夏祭りとして復活したものです。
山車は潮干祭の山車の3分の2程度の大きさで彫刻類も幕も無い「おもちゃ」のような物ですが、基本構造は同じ。
「朝日車」を担当する私達同年(夏祭りでは同年会単位で各山車を担当)は潮干祭の各組での経験を活かして手際よく順調に作業を進め、午後2時過ぎには無事山車を組み上げることができました。 (それにしても提灯の取り付けの面倒なこと!)
1998/07/11 幼稚園時代からの友人H君の家で手巻き寿司パ−ティ−。
H君は石橋組の白看絆でやはり祭りキチ、彼が所有する「青龍車と車元の1年」という本(石橋組幹部にのみ配られた非売品)を貸してもらうことができました。 この本は、石橋組の歴史・山車・囃子・装束・組織・行事等々に関する詳しい解説が載っている「石橋組史」的な貴重な資料。
当ホームページの参考資料としておおいに役に立ちそうです。
1998/07/09 頭役仲間のお母様が亡くなられ、7時からのお通夜にお参りに行ってきました。
ほとんどの頭役が顔を見せており、また若干打合せ事項もあったため、この後居酒屋「廻」(西組の赤看絆が経営)に集まり、飲みながらの打合せを行いました。
1998/07/05 「山行き」の「後の日」。 宴会の疲れも何のその、朝食時からまたビ−ル。
お世話になった仲居さんに感謝の意を表して出立前ホテル玄関でまたまたまた神楽を演奏して出発。
途中土産物購入のため鳥羽市内・伊勢市内に寄り道した後、この日の唯一のイベント「津ボ−ト」で勝負開始!!
3時間後・・・・旅行代金を取り返した者、こんな事なら海外旅行へ行けたのにと後悔する者、悲喜こもごもの表情を乗せたバスは一路亀崎へと向かったのでした。 ・・・・・・・・・・・・お疲れさまでした!
1998/07/04 田中組若者頭の本年の「山行き」(頭役旅行)、伊勢・鳥羽方面への1泊2日バス旅行に出発。
「山行き」とは、昔、祭り終了後ごちそうの残りを持って高根山(亀崎地区西北の高台)の高根公園で慰労と親睦の酒宴を行ったことからその名があるそうです。
朝9時、太鼓、酒・ビ−ル類を積み込んだバスで亀崎遊園地前を出発、神前神社にて旅行の安全を祈念して神楽奉納後一路伊勢方面へ。
バスの中ではさっそく酒盛り開始、途中松阪市内の焼き肉店で昼食をすませ伊勢神宮(内宮)前に到着、「おかげ横丁」散策等のあと次の目的地二見浦の「興玉神社」へ。
有名な夫婦岩のそばにある興玉神社では本殿まで進み神楽を奉納、ご祈祷を受け、お神酒・御札をいただきました。
この後、今日の宿泊先である鳥羽の「サン浦島」ホテルに到着、フロントにてまたまた神楽を演奏(好きだね−!)。
露天風呂で汗を流した後、いよいよ大宴会開始、宴会は「芸達者田中組頭役」の面目躍如! おおいに盛り上がりました。 女装する者、猿の被り物をつけて踊る者、そして恒例の裸踊り・・・・・・・酒が回ってくると神楽、祭り囃子、伊勢音頭と祭りネタも加わっていよいよ最高潮、終いには「人間巫女の舞」や「人間傀儡師」「人間棒締め」も飛び出して大フィ−バ−の宴会でした。・・・・・・・あ−っ疲れた!!
1998/05/31 田中組顧問で前の副理事を務められた 間瀬幸男さんが亡くなられ、夜7時より亀崎町内の寺院で通夜が執り行なわれ、そのお手伝いをしてきました。
故人は田中組の長老として、とにかく昔の祭りに関する「生き字引」のような方で、亀崎小学校のHPでも子供たちが祭りのことを取材した様子が掲載されています。また「傀儡師」の謡いの第一人者でもあり、昨年の半田山車祭りまで現役で活躍されていました。
これからまだ色々と教えを請いたいと考えていた方だけに残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします・・・・・・・・・・・合掌
1998/05/30 夜、神前神社社務所で「代参会」(5組の責任者による潮干祭の最高意志決定機関)が開催され、本年の潮干祭の反省事項等が話し合われました。
各組から多くの反省事項・要望事項が出され、特に祭りの伝統を重んじる観点から「伝統やしきたりから逸脱しそうな若者」への「教育の徹底」や「教育の場の設定」等について活発に意見が交わされたようです。
(田中組は頭役の序列上位5名程度のみこの会議に出席できますので、わたしのようなペーペーは田中組御用達居酒屋「女ん恋」で出席者が帰ってくるのを飲みながら待ってただけで、その後出席者からの報告を受けたのですが)
また、この反省会の席上で今年から新しく若者頭になった者の顔見せが行われ、5組合わせて12名が新頭(しんとう=新しい若者頭)として紹介されたようです・・・・・が、田中組だけ新頭は0、その他4組に各3名づつという構成。
下積み生活から脱出できるのは、いつになることやら。